父の書斎の壁はカナダ・沖縄の写真でいっぱいでした:
2025年9月1日月曜日
4 天願1325が写真館に変身
子どものときの
自分、
友人、
親戚、
知り合いが
写っているかもしれません。
ぜひ見に来て下さいね。
2025年8月24日日曜日
5 ロイ・大城 葬儀に読まれた
1921年7月20日にカナダ、マニトバ州、ブランドン市で大城蒲助と正子に長男ロイ昇が生まれる。
| ロイ、1歳 |
1930−1932、世界大恐慌の間、母正子と息子3人は沖縄に行き、カナダにいる父親から仕送りを受けながら親戚と住んで、天願小学校に出席する。
2025年8月23日土曜日
2025年8月22日金曜日
2025年8月21日木曜日
8 ひとりの来病人の祈り
10月30日の礼拝のメッセージは、らい病人が癒された話しだった。
「らい病のことは分かりますか?」と牧師先生が言ったとき、
自分は川端さんのことを思わずにはいられなかった。
* * * * *
川端トミ姉は、1950年代、らい病のために隔離されていたときに救われた。
病気が完治後、彼女は家に戻った。健康と霊的いのちをてにした川端姉は、
周りの人に証し、村に教会が与えられるように祈り始めた。
1958年、宣教師大城昇・君子先生たちが、宇堅村に開拓伝道をしに来た。
「大城先生、あなたが来ることを待っていたのですよ。」と暖かく迎えられた。
そして、川端姉と数人の信者の証のため、村の30名ぐらいが集まって
米軍が要らなくなったかまぼこ型兵舎の建物をもらって
宇堅福音教会を建てることになった。
しばらくしてから、村の子供たちは、「むらのちいさききょうかい」を、
「むらのカマボコきょうかい」と、歌っていた。♪
天の神は、一人のらい病人の祈りを答えてくれたのだろうか。
* * * * *
| 現在の宇堅福音教会 |
私が覚えている川端トミさん:
毎朝、目が覚める時、「ああ、神様に愛されているんだと、思い出して
一日を始めることにしている」と、言っていた。
* * * * *
百歳まで生きたいと言っていた川端さん。百歳まで生きた。
「神の恵みのトロフィー」の一人だと、父が言っていた。
私たちを暖かく見守って愛して下さる神様に、
自分も心の目をしっかりと留めておいて
生きたいと思う。
2025年8月20日水曜日
9 由来はわかりますか?
多くの日本の学校で イスラエル民謡として紹介されている踊り
「マイムマイム」
「マイム」はヘブライ語で水をあらわす言葉です。という説明までは、大体される。
イスラエルに戻って来た人たちが掘り当てた、井戸の水が出たことを喜んでいると、よく聞く。
だけど、この曲のストーリーは、それで終わる。喜びの踊りの歌詞は、どこからきたのか、わかりますか。
「ウシャブテム マイムベッサソン ミイマイエネハイエシュア」
(日本語訳:)
「あなたがたは 喜びのうちに
救いの泉の水をくむ。」
そう、イザヤ12:3です!
私たちが喜べなければ、いったい誰が喜べるだろう?
「主よ、どんなことがあっても、神様がわたしたちを救い出し
導いてくださると信じ、
喜びに溢れる心を与えて下さい。
マイム・マイム・・・♪」
登録:
コメント (Atom)







.jpg)




